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観光スポット


媽閣廟

マカオの名前の由来になったと言われている海の女神【阿媽】を祀った寺院
敷地内には4つのお堂、石殿、大殿、弘仁殿、観音殿があり、観音殿には観音様
その他のお堂には阿媽が祀られています。

ポルトガル人が最初にマカオの媽閣廟の近くに上陸した際、住民たちに「ここは
どこだ?」と尋ねたところ、住民たちは上陸した場所の事を聞いているのだと
思い「媽閣廟(中国語でマァコッミュウ)」と答えたため、ポルトガル人はこの
土地を【マカオ】と呼ぶようになったと言われています。

阿媽伝説

福建省の福州の港で阿媽という娘が広東省行きの船を探していたところ、裕福な
ジャンク船の船主達には人も荷物も一杯だと全て断られましたが、一人の船主が
阿媽を乗せる事を承諾しました。

港を出港した船は嵐に遭い、みな遭難してしまいましたが、阿媽を乗せた船だけは
阿媽が舵を取り、無事に嵐をやり過ごしてマカオに到着。到着後、阿媽は船を下り
て山に登り姿を消してしまいました。

船員たちは山に登って阿媽の姿を探しましたが見つからず、そこには女神の像だけ
があった為、船員達はそこに阿媽を祀るお堂を作り、海の女神として崇めるように
なりました。



聖ポール大聖堂跡

マカオのシンボルと言っても良いほど有名な聖ポール大聖堂のファザード(正面壁)
1602年に建立されましたが、2回の火災に会い、1835年の2回目の火災でファザード
以外が焼失し、現在の姿になりました。

建築には徳川幕府により日本から追放された日本人のキリスト教信者も関わっており
日本に戻ることなく、マカオで殉教した信者の遺骨がファザード裏手の天主教芸術
博物館の納骨堂に収められています。



聖ローレンス教会

海の神様【聖ローレンス】を祭っている1569年頃イエスズ会によって建立された教会。
教会内部はターコイズブルーの天井、左右に聖ローレンスと聖女達の物語を記した
ステンドグラス、贅沢なシャンデリアなど、マカオで最もおしゃれな教会と言われており
マカオのキリスト教信者の人気の結婚式場になっています。

また、高台にある教会の前庭から港の様子が良く見えたことから、船乗りの妻たちが
ここで夫の無事な航海を祈り、帰港するのを待った事から別名【風順堂】と呼ばれています。



聖ジョセフ修道院及び聖堂

1758年にイエスズ会によって建立されたバロック様式の教会。
建築様式が聖ポール大聖堂に似ており、マカオ内では同教会に次ぐ規模の教会だった。
内部はドーム型の天井が特徴で、右側にフランシスコザビエルの遺骨(右上腕骨)が
ケースに入れて安置されています。

聖ポール大聖堂が火災で焼失した際には同教会内にあった聖ポール大学の機能がこの
聖ジョセフ教会に移されました。
その為、地元では聖ポール大聖堂が大三巴と呼ばれるのに対して、聖ヨゼフ協会は
小三巴と呼ばれる事があります。



聖オーガスティン教会

1856年にスペイン人によってされた教会で、その後ポルトガル人に引き渡され、1591年
に現在の場所に教会が作られました。
内部の大理石造りの中央祭壇には、十字架を背負った受難のキリスト像が祀られています。

毎年2月から3月の日曜日にキリスト受難の像を背負ってセナド広場近くの大堂まで移動する
のが【パッソス聖体行列】で、夜通し練り歩く姿はマカオの早春の風物詩です。



大堂(カテドラル)

セナド広場の近くにある重厚な石造りの教会。
1576年に土とワラのレンガで作られましたが、現在の石造りの建物は1937年に完成したもの。
上海製の漆喰を使い、ファザード(正面壁)は2つの鐘楼があり、ヨーロッパの大聖堂の
ような荘厳な構え。内部は白壁と正面奥と両脇のステンドグラスが美しく目を引きます。

毎年、復活祭に行われる【キリスト受難の行進】は、ここからスタートし、同時に大規模な
ミサも執り行われる。
また、教会の左側にある司教館はアジア各国へ伝道師節団を派遣とマカオ内外のカトリック
行事を管轄する管理公署となっています。



聖ドミニコ教会

1587年にスペインの修道会、ドミニコ会によって建てられた教会。
当時は木造の簡素な礼拝所だったが1828年に再建され、現在の教会となりました。
祭壇には【バラの聖母像】と呼ばれる聖母マリア像が祀ってあり、その為、この教会は
中国語で【バラの教会】と呼ばれています。

教会裏手の鐘楼は聖ドミニコ博物館となっていて、300点もの絵画や彫刻、装飾などの
宗教関係のコレクションが展示されています。

毎年5月13日には、ここからペンニャの丘の上にある【ペンニャ教会】まで聖母像を運ぶ
イベント【ファティマ聖母マリアの行列】が行われています。



聖アントニオ教会

1558年から建築が始まったマカオで最も古い教会のひとつ。
2度の火災にあい、1930年の再建時に現在のネオクラシック様式の石造りとなり、1959年に
床と祭壇が改修され、現在の姿になりました。
正面の祭壇には受難のキリスト像、その上部にはイエズス会の紋章が掲げられています。

聖アントニオは婚姻の神様として慕われ、かつてこの教会では多くのポルトガル人が結婚式を
挙げたことから、この教会は別名【花王堂】と呼ばれています。



三街会館

セナド広場の近くの聖ドミニコ広場の前にある三街会館は、商売の神様【関羽】が祀られて
います。かつては地元の商売人達のコミュニティーセンター的な役割を果たしていましたが
同時に宗教施設的な役割も果たしていました。

その後、市場の衰退と共に寺院としての役割が大きくなり、現在に至ります。
街中の色鮮やかな街並みの中にあるので、気をつけていないとうっかり見落としてしまう
可能性がありますが、西洋と東洋が交わる街マカオの街中で2つの文化の共生を見る事が出来ます。



ナーチャ廟

1888年に建立された聖ポール大聖堂跡の裏手にある小さなお堂。
西遊記にも登場する子供の神様【ナーチャ】を祀っています。

ナーチャは武芸の達人で、霊感退治で中国では人気の神様。
ナーチャ廟の間口は5m程と小さなお堂ですが、聖ポール大聖堂と並んでいる事で東洋と西洋の
文化が共存するマカオを象徴するという理由から世界遺産に登録されました。


港務局大樓

1874年に建てられた、建築当初はポルトガル人がマカオの治安維持の為にインドのゴアから
派遣したムーア人(北西アフリカのアラブ人やベルベル人のイスラム教徒)の兵舎として
使用されました。

花崗岩の土台にレンガを積み重ね、クリーム色と白で仕上げた漆喰壁が美しく、かつ荘厳な
建物で、現在は港務局事務所と海上警察の本部として使用されています。
内部を見る事はできませんが、外側の回廊を見学する事が可能です。


鄭家屋敷

1881年に19世紀の資産家にして孫文や毛沢東に影響を与えた文豪【鄭観應】の父親によって
造られた屋敷跡。母屋や使用人部屋、人力車庫などの長屋が中庭を囲む伝統的な中国家屋の
造りながら、外壁にヨーロッパ風の灰色レンガ、真珠貝を使ったインド風の窓枠など、イン
ドや西洋の取り入れた建築や装飾が特徴です。



ドン・ペドロ5世劇場

1860年に完成した中国初のオペラハウス。
ドン・ペドロ5世は当時のポルトガルの国王で座席数は300、記念行事やセレモニー、
コンサートやオペラも上演されていました。現在も公共イベントの会場として使われる
事があります。

残念ながら現在は内部の一般公開はされていませんが、庭園から見る外見からでも
当時の優雅な社交世界を伺い知る事が出来ます。



ロバート・ホー・トン図書館

ドン・ペドロ5世劇場の裏手にある檸檬色の建物で、1894年以前の建築とされています。
香港の大富豪、ロバート・ホー・トン卿が1918年に購入し、別荘として使用していましたが
1955年の氏の死後、建物と収集した明、清時代の書物がマカオ政府に寄付され、1958年に
図書館として公開されました。

図書館の中で本を読む事はもちろん、この図書館では中庭に置かれたイスに腰掛け読書を
楽しむ事も可能です。



民政総署

セナド広場の向かいに建つ一般市民の生活に直接関わる行政事務を行う役所の庁舎です。
入口のホールにはポルトガルの盾形紋章、中国本土との境界のゲートに掲げられていた
プレート、中庭に続く階段の上のアーチにはポルトガルがスペインに併合されていた時も
ポルトガル国旗を掲げ続けた事から、当時のポルトガル国王がマカオを褒め称えた言葉
「神の名の街マカオ、他に忠誠なるものなき」と書かれたプレートが飾られています。

2階には現在も実際に使用されている議事室と中国で最初に発行された外国語の新聞
【蜜蜂華報】が展示されている図書館があり、中庭には民政総署の形の変化とマカオの
地形の変化を描いたアズレージョが壁に展示されています。



仁慈堂

セナド広場に面するこの純白の建物は、マカオの初代司教カルネイロが1569年に慈善福祉
施設として設立したもので、孤児院や養老施設、西洋の医療技術を取り入れた病院などが
設置されていました。

現在は、1階が公証役場、2階は仁慈堂博物館として使用されており、博物館にはカルネイ
ロ司教の頭蓋骨や埋葬品の十字架が展示されています。



盧家屋敷

1889年に中国広東省生まれの貿易商【廬華詔】によって建てられた邸宅。
中庭を建物が取り囲む伝統的な中国式住居ですが、様式や装飾に西洋と東洋の方式が
取り入れられており、例えばガラスの代わりに牡蠣の貝殻を使用して作った窓や
渦巻き模様の透かし彫りと欄間など中国式の様式とステンドグラスの窓や白く塗られた
天井など、西洋建築の様式が混在しています。


旧城壁

1569年頃にナーチャ廟の周りに残っているポルトガル人によって築かれた城壁。
土砂とワラ、牡蠣の貝殻を混ぜて木枠の流し込んで作られた【チューナンボ】と呼ばれる
材料を使い、これを何層にも積み重ねる事で城壁が作られました。

チューナンボで作られた城壁は、大砲の弾を弾き返すのではなく、包み込むようにとどめる
為、石造りより防御に優れ、また時間が経つにすれてより強固になると言われています。


ギア要塞

1622年から1638年にかけて築かれた、マカオの最高峰、海抜92mの山頂に築かれた要塞。
砦内には灯台(ギア灯台)と教会(聖母教会)があり、灯台は1865年に中国沿岸で初の
近代的灯台として建築されました。

また、台風接近の際、マカオの各家庭にテレビが無く、高いビルがなかった頃にポール
に掲げられた台風シグナルを表す模型の実物が展示されているのを見る事が出来ます。
灯台内部は普段は一般公開されていませんが5月20日の港務局日の前後にのみ一般公開
され見ることが出来ます。



モンテの砦

1617年から1626年にかけてポルトガル人がイエズス会と協力して築いた砦。
砦として使用されていた頃は大砲、軍部宿舎、井戸の他に、長期の攻撃に耐えられるように
兵器工場や貯蔵庫も設置されていました。

1960年中頃のポルトガル軍撤退まで軍事施設だった為、一般人は立入禁止でしたが、現在では
気象台が置かれ、マカオの歴史や生活、文化を展示するマカオ博物館が建設され、観光施設と
して一般公開されています。



プロテスタント墓地

カトリックの布教が盛んだったマカオにおいて、イギリス東インド会社によって1821年に
建てられたプロテスタント墓地です。

墓地には聖書を中国語に訳したプロテスタントの伝道師【ロバート・モリソン】やマカオを
描いた画家【ジョージ・チナリー】、イギリスの宰相、【ウィストン・チャーチル】の祖先
【J.Sチャーチル卿】などの著名人も埋葬されています。


カーザ庭園

カモンエス公園とプロテスタント墓地の間あり、1770年にこの一帯の大地主だったポルトガル
の豪商【マヌエル・ペレイラ】が建てた豪邸の跡地です。
木造の邸宅の庭には、大きな池や熱帯の木々が植えられていて、当時の繁栄を忍ばせるコロニ
アル形式の庭園です。

19世紀初頭にはイギリスの東インド会社がこの土地を借り上げ、中国との取引拠点として使って
いました。庭園の名前は当時の東インド会社の役人の名前だと言われています。
1840年のアヘン戦争後は、貿易の拠点は香港に移った為、この場所は博物館として使用されて
いましたが、現在は東方基金会という財団の事務所となっています。



リラウ広場

マカオに定住したポルトガル人がペンニャの丘から湧き出す泉がある、このリラウ広場周辺を
定住地として選びました。
マカオには「リラウ広場の水を一度飲んだ者は決してマカオを忘れる事なく、必ずまた戻って
くる」と言う言い伝えが残っています。



聖オーガスティン広場

聖オーガスティン広場はドン・ペドロ4世劇場、聖オーガスティン教会、ロバート・ホー・トン
図書館、聖ジョセフ修道院及び聖堂、聖ローレンス教会と世界遺産密集地の中心にあります。

セナド広場と同じく、美しい模様を描く石畳(カルサーダス)が敷き詰められ、南国気分を
高めてくれるガジュマルの木、レトロな街灯、鮮やかな色彩の建物に囲まれた広場に入ると
突然ヨーロッパの街に迷い込んだような感覚に陥ります。



セナド広場

古くからマカオの中心であり、今も各種イベントや祝典の会場として利用されています。
1990年代にポルトガルから呼び寄せた敷石職人により、ポルトガルの石を使ったモザイク模様
の石畳(カルサーダス)が敷設されました。

広場の中心には1960年に噴水が設置され、それ以降地元住民には【噴水地】の名前で親しまれ
ていて、噴水内部のオブジェクトは教皇境界線儀で、大航海時代のポルトガルを象徴です。

広場を民政総署、観光局オフィス、仁慈堂、郵便本局など色鮮やかな建物が取り囲み、観光客
向けの飲食店、衣料店などが数多く営業しており、毎日大勢の人で賑わっています。




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